松村任三

松村任三01

東京大学理学部植物教室の基礎を築いた松村任三理学博士

松村任三は、水戸藩松岡領中山家家臣松村鉄次郎(後の儀夫)の長男として、下手綱に生まれました。明治3(1870)に大学南校(現東京大学)に入学し、その後、ドイツに留学しました。36歳で理学博士となり、東京帝国大学の植物学教室二代目主任教授、並びに東京帝国大学附属小石川植物園初代園長などを勤め、現在の東京大学理学部植物学教室の基礎を築きました。

東京大学には任三が採集したものを含め約170万点の植物標本がある

現在、東京大学植物標本室には約170万点の標本があり、その中には、松村任三が学名を付けた標本なども見られます。これらの標本は、総合研究博物館と小石川植物園に分蔵されています。

 

学術雑誌や著作物が多数収蔵されている東京大学の植物学図書室の基盤を築く

松村任三は、日本の植物について新たな研究を開始しようとしたときに、日本の植物についての欧米での研究成果が発表された当時としても、入手がむずかしい学術雑誌や著作物を徹底的に集めました。こうした、書籍類が、現在東京大学の植物学図書室に多数所蔵されていますが、その植物学図書室の基礎を築いたのも松村任三の大きな業績の一つです。

 

150を超す新植物の発見

松村任三は、生涯にわたり150種以上の新植物を発見し、これらに学名を与えました。その一部は後の研究者によって、さらに分析が加えられ、今では、松村任三が提唱した学名全てが用いられているわけではありませんが、ソメイヨシノやオオバヤシャブシ、ミネザクラ、カニコウモリ、オオカニコウモリ、モリアザミ、フジアザミ、ノハラアザミ、ヒトツボクロなどには、松村任三がつけた学名が今も用いられています。
代表的なものとしてソメイヨシノ(バラ科)にはPrunus yedoensis Matum. さらに、ワサビ(アブラナ科)には、Wasabi japonica Matum.など、発見した松村任三の名前が記されています。

 

松村任三略歴

1856年、下手綱に生まれる。幼少のころから、漢学を学び武芸に励む。15歳の時、今の東京大学の前身であった大学南校に入学。
1877年(明治10年)、東京帝国大学付属小石川植物園に勤務し、矢田部良吉教授の助手となり、植物学研究の道に入り、植物採集の旅を繰り返すようになった。
1883年、助教授となった任三は翌年『日本植物名彙』など植物分類学研究上貴重な本を著す。さらに、1885年末にドイツ留学へ旅立ち、植物分類学・解剖学の研究を深め、1891年には、理学博士の学位を授けられ、1897年に東京帝国大学附属小石川植物園の初代園長となる。
1912年には、生涯の大著である『帝国植物名鑑顕花部後編』を著し、名実ともに植物学の権威者となった。学名にマツムラの名を冠した植物は数多く見られる。

西暦
年号
 
1856
安政三
松村任三誕生。多賀群下手綱村にて。幼名は辰太郎。
1864
元治元
就将館に入学。
1870
明治三
大学南校(東京)に入学。
1877
明治一〇
東京大学植物園に勤める。
動物学のモースに随行し海洋生物採集、矢田部良吉に随行し植物採集を行う。
1883
明治一六
東京大学助教授に就任。
『植物採集及び乾セキ法』を著す。(セキは月昔)
1884
明治一七
『日本植物学名彙』『琉球植物説』を著す。
1885
明治一八
ドイツ留学へ出発
1886
明治一九
バイエルン王国ウルツブルグ府大学にて学ぶ。
『植物学語鈔』、『理科大学標本目録』』を著す。
1887
明治二〇
バーデン国ハイデルブルグ大学へ転学。
1888
明治二一
帰国し、理科大学助教授となる。(翌年、教授就任)
1890
明治二三
『植物分科ラン要』を著す。
1891
明治二四
『実験植物学入門』、『植物の内容及生理』を著す。
植物学教室二代目主任教授となる。
1892
明治二五
『植物学教科書』上巻出版。『和漢対訳本草辞典』を著す。
1893
明治二六
『植物学教科書』下巻出版。
1894
明治二七
『日光山植物目録』を著す。
1895
明治二八
『改正増補植物名彙』を著す。
1897
明治三〇
東京帝国大学付属小石川植物園の初代園長となる。
『中等植物教科書』を著す。
1901
明治三四
『普通植物』を著す。
1902
明治三五
『植物の形態』を著す。
1904
明治三七
『帝国植物名鑑上巻隠花部』を著す。
1905
明治三八
『帝国植物名鑑顕花部前編』を著す。
明治天皇に「食虫植物について」御進講。
1906
明治三九
スコットランドのアバディーン大学創立400年祭に東京帝国大学代表として出席、名誉博士の号を授かる。
1907
明治四〇
明治天皇御前にて、「サボテンの種類について」御進講。
1912
明治四五
『帝国植物名鑑顕花部後編』、『新撰植物図編』を著す。
1915
大正四
大正天皇御前にて、「熱帯有用植物について」御進講。
1921
大正一〇
字源の『溯源語彙』を刊行。
1922
大正一一
東京帝国大学を辞任、同大学名誉教授を授けられる。
1928
昭和三
東京・本郷の自宅にて没。高萩市内の赤塚墓地に埋葬される。

(参考文献:長久保片雲 1997 『世界的植物学者 松村任三の生涯』暁印書館
高萩市生涯学習推進本部編 2009 『マンガで見る高萩三英傑』p.101)

 

松村任三の人生についてもっと知りたい方に!

<子供向け>

  • 高萩市生涯学習推進本部編 『ソメイヨシノやワサビの名付け親 松村任三』
  • 高萩市生涯学習推進本部編 『マンガで見る高萩三英傑』

<大人向け>

  • 長久保片雲 『世界的植物学者 松村任三の生涯』

 

松村任三 関係所蔵資料(一部)

人物全般
高萩市生涯学習推進本部編 1998 『ソメイヨシノやワサビの名づけ親 松村任三』高萩市生涯学習推進本部
長久保片雲 1997 『世界的植物学者 松村任三の生涯』暁印書館
高萩市生涯学習推進本部編 2009 『マンガで見る高萩三英傑』高萩市制施行55周年記念事業実行委員会 pp.71-106
大場秀章 2006 「松村任三先生の事跡を讃える」『大場秀章著作選』1 pp.256-268
(大場秀章 2001 「松村任三先生の事跡を讃える」高萩市文化協会編『ゆずりは』7 pp.116-121
著作
木村定次郎編 1907『理学博士松村任三講述 植物雑話』 博文館
諸論考
内田正人 2001 「牧野富太郎を救った松村任三」高萩市文化協会編『ゆずりは』7 pp.64-65
大場秀章 1998 「忘却を許されぬ松村任三先生の業績」高萩市文化協会編『ゆずりは』4 pp.56-63
大場秀章 2006 「日本における植物学の歩みと小石川植物園」『大場秀章著作選』1 pp.150-186
(大場秀章 1996 「日本における本草学の歩みと小石川薬園の歴史」
『東京大学コレクション4 日本植物研究の歴史―小石川植物園300年の歩み―』東京大学総合研究博物館 pp.21-49)
大場秀章 2006 「伊藤圭介と物産学」『大場秀章著作選』1 pp.193-228
大場秀章 2006 「東京大学植物標本室に関係した人々」『大場秀章著作選』1 pp.229-255
(大場秀章・秋山忍 1996 「東京大学植物標本室に関係した人々」
『東京大学コレクション4 日本植物研究の歴史―小石川植物園300年の歩み―』東京大学総合研究博物館 pp.84-115)
金井弘夫 1996 「植物学教室が小石川植物園にあった」
『東京大学コレクション4 日本植物研究の歴史―小石川植物園300年の歩み―』東京大学総合研究博物館 pp.50-59
佐川春久 2000 「世界で活躍した松村任三・瞭二人展」高萩市文化協会編『ゆずりは』6 pp.142-147
寺門寿明 2001 「日光植物園と水戸藩の三人―松村任三、中山信徴と五百城文哉―」高萩市文化協会編『ゆずりは』7 pp.76-81
長久保片雲 1996 「松村任三―世界的植物分類学者―」『耕人』2 pp.97-101
増田芳雄 2001 「松村任三先生と創設当時の東京大学植物学科群像」高萩市文化協会編『ゆずりは』7 pp.66-67

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  • 【更新日】2018年1月26日
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