高萩四英傑
中山 信吉
徳川幕府を維持する目的で尾張、紀州、水戸の徳川御三家が作られました。
幕府は、この幕藩体制を支える藩主の補佐役として有能な家臣を附家老(つけがろう)に任命しました。
徳川家康の信任が厚く、初代水戸藩主頼房の附家老となった信吉は、家光の命により幼い光圀の素質を見抜き、2代藩主に選びました。
戸沢 政盛
関ヶ原の戦いの直前に、会津の上杉景勝の陰謀をいちはやく徳川家康に知らせた功績により、常陸国高萩地方に領地替えされることとなりました。
江戸時代初頭、竜子山城を改築し「松岡城」と改め、近世大名の城として整備しました。
それから20年後、出羽国最上・村山郡(山形県)に国替えを命ぜられ、新庄藩祖として明治初年まで11代250年にわたってこの地方を治めました。
長久保 赤水
農家の生まれですが、学問の才能が認められて6代水戸藩主治保(はるもり)の侍講(教師)となりました。
赤水は、20余年の歳月をかけて、緯度をあらわす緯線と方角線の入った日本初の日本地図を作り発行しました。これは、通称「赤水図」と呼ばれ約100年間、人々に愛用されました。
松村 任三
子どものころから文武両道に優れ、松岡藩から推薦されて今の東京大学へ入学しました。その後、ドイツへ自費留学するなどして植物分類学などを学びました。
帰国後は、東京大学植物学教室の2代目教授・小石川植物園初代園長となり、「ソメイヨシノ」や「ワサビ」など、180種類以上の植物に学名をつけました。
関連ページ
高萩市立教育委員会ホームページ内の「郷土の先人」のページで詳しく紹介しています。
下記のページと併せてご覧ください。