穂積家住宅の見学・開館時間など
開館時間
午前9時から午後4時まで
休館日
・毎週月曜日(月曜日が祝日の場合は、その翌日)
・年末年始…12月29日から1月4日
※このほか、教育委員会が定めた日
入館料等
無料
ただし、主屋等を占用し撮影等を行う場合は使用料が発生します。
(使用料は穂積家住宅の設置及び管理に関する条例に基づき算定)
穂積家住宅の詳細
穂積家の解説
穂積家とは

穂積家住宅主屋
穂積家は江戸時代中期に庄屋を務め、農業のほか造林地業・金融業・酒造業などを営み、明治初期には製紙工場を経営するなど、多角経営を行っていた上層階級の農家(豪農)。
敷地面積は5492.82m2、周囲を塀で囲み、中心に主屋、北側に衣装蔵、東側に庭園、南側に長屋門と前蔵を配しています。
現在は無料公開のほか期間限定古民家カフェや映画・テレビのロケ地として利用されています。
広範な経済活動
穂積家は、江戸時代から豪農の家柄として地域経済に大きな役割を担い、その活動は農業のほか、酒造業や林業、金融業、製糸業などにも及びました。酒造業では、明治4年に1,000石を醸造、銘酒「松乃月」を誕生させて一躍有名となり、製糸業では、蒸気機関と100人の従業員を使って隆盛を極めました。
茨城県指定文化財(建第67号)の概要
●指定日平成元年1月25日
●名称穂積家住宅(高萩市上手綱2337番地の1)
●内容主屋(平面積:317.660m2)
長屋門・前蔵・衣裳蔵・敷地(4172.71m2)
附屋敷絵図屏風1隻
主屋(おもや)
桁行12間半、梁間6間の建物を中心に、南西部に曲がり部を突出させ、西端にも突出部をつくっています。北面には、後の改修で付け加えられた下屋が貼り出しており、背面の衣裳蔵とは渡り廊下でつながっています。屋根の形状は、正面側に小さな妻を作って入母屋造としているほかは寄棟造となっています。また、軒付けは数段重ねで葺かれており、この屋根の造りは「五段茅葺中竹節揃角市松模様寄棟造」と呼ばれています。

板の間と梁

東側廊下

座敷

庭園
長屋門(ながやもん)
現在のものは「穂積家屋敷絵図屏風」に描かれた旧状とは異なり、昭和初期の改修でもともと平屋根だったものに2階部を乗せるなど、数回の改築が行われています。
門の分類では長屋門に含まれる形式となっていますが、城郭に見られる楼門のような外観は類例が少なく、貴重な建物となっています。
前蔵(まえくら)
嘉永2年(1849年)に建築された切妻造、2階建ての土蔵です。大きさは桁行4間、梁間3間で、屋根は漆喰を塗り固めた上に合掌を置き桟瓦葺の屋根を乗せる置屋根形式になっています。
また、美しいなまこ壁が時代的な特徴を良く表しています。
衣裳蔵(いしょうぐら)
大正4年に造られた切妻造の土蔵です。主屋の背面から渡り廊下でつながっており、いわゆる内蔵となっています。大きさは桁行3間半、梁間2間半の2階建てで、1階に衣裳棚、2階には、10畳間を設けた床の間もあり、衣裳替えのほか接客の使用もできるようになっています。
庭園(ていえん)
江戸時代に作られたもので、屋敷の北を流れている関根川から水を引いています。中央西は石造りの太鼓橋、その先には石灯籠を配し、日本庭園の景観を作っています。
屋敷絵図屏風
和紙に比較的薄い彩色で、江戸時代末期の屋敷全景が鳥瞰的に描かれています(137cm×218cm)。主屋については、ほぼ現在の形となっていますが、長屋門は増築前の形状を残し、また、庭園に接した二階建ての書院や主屋わきの水車や酒蔵など、今では見られない建物や構造物を見ることができます。
穂積家のアルバムから
屋根葺替時の様子(昭和7年)
玄関の戸が格子状であること、玄関腰壁が鼠漆喰(漆喰に灰墨を混ぜたもの)になっていることなど、現況とは異なる箇所がいくつか見えます。
庭園と書院(大正期)
長屋門後方に建てられていた書院は、大正期から昭和初期頃に一度改築されましたが、昭和30年に撤去されました。
穂積家の保存と活用
穂積家は、茅葺屋根の主屋や池を配した日本庭園など、古き佇まいを今に伝える特徴ある景観をもっており、映画やテレビのロケ地として利用されています。これまで、NHK連続テレビ小説「らんまん」、TBSテレビ「ニンゲン観察バラエティモニタリング」、茨城県制作「県北高校フシギ部の事件ノート」などのロケに使用されました。
また、令和4年度には、茅葺屋根の葺替工事を行い、劣化した茅や破損した部材の交換を行いました。屋根の修理には、茅葺職人の技が随所に用いられました。